言語政策について

各国政府が国民に対してどの言語を使用させるか、それとも何の制限も設けないかといった政策を「言語政策」と呼んでいるようです。
日本はとりあえず島国国家で、とかいう歴史的な考察からはじめてもはじめなくても、長い間、いわゆる日本語がその第一言語として
の地位を確立してきました。よほどのことがない限り、この事実は変わらないでしょう。

一国の経済事情に大きく支配されるのがこの言語政策です。私が留学を決意した1990年代は日本語はとても強い言語でした。バブル崩壊
後ではありましたが、その余韻が感じられ、どの大学でも日本語学科が増加の一途をたどるという雰囲気がありました。もちろん、それ
以降は衰退の一途につく結果を招くのですが……

アメリカではメキシカンが増加し、カリフォルニア州における人口の多数派となった現在、メキシコ語も強い言語なのですが、それでも
日常生活をはじめ、公的な言語が依然として英語のままです。たとえメキシカンが知事や大統領になっても、メキシコ風を吹かせない
だろうことは想像が硬くありません。

話をビジネスに転じてみるとどうでしょう。以前ですと、どうしても英語一色だったのが、最近では韓国とか中国とか、インドに人気が
集中しています。インドだとどうしても英語ですが、韓国や中国の場合だと日本語でもビジネスができてしまうことがあります。中国企業
にアウトソースする際、やさしい日本語を使うのに苦労した、という元先輩の談は非常に新鮮でした。

韓国と言えば、ヨン様に代表される一過性のブームに下支えされた言語ブームはとてもかわいそうに思えてなりません。ブームが去れば、
荒れ果てた万博会場の様相を呈するからです。ヨン様も下火になり、韓流にもそろそろ飽きが感じられる今日この頃、ハングル語にあれ
だけ一生懸命情熱を注いでいた人たちが、しらっと韓国ものから目を遠ざけるのは、まるで身内の恥を、自分が身内ではないと振る舞う
ことで恥をかかずにすませようとする人たちのようです。

受発注の言語が日本語だろうとそうでなかろうと、やはりIT業界を支えてきて、これからも支えていくのは英語でしょう。だから、IT英語
というのは、これからもどんどん続いていくし、続けていかなければなりません。言語政策とかいう、ちょっと大げさな言い方をすれば、
すぐに政治がらみの話かと思って身を引いてしまいますが、結局どうなの?と問えば、答えは簡単かもしれません。

海外では日本人の発言力が弱いのは、今も昔もまったく変わりません。国内では勢いがよくても、人前に出れば謙遜し、できるだけ恥を
かかないようにする世界に育った人が、いきなり人を仕切れるわけがないのです。日本人を発言力を!と、発言力のない人が一生懸命
声を大にしても説得力がありません。イチロー、松井、松坂といったダイリーガーは話題作りには事欠きませんが、それ以外の場面で
も同様に日本人が活躍できるかどうかは、国民性というよりも、個人レベルの問題なので、他の人はそういった海外でがんばっている
人をぜひ応援しなければいけません。

英語を必死でマスターするのもいいですが、日本語を必死で教える努力がもっと払われてもいいでしょう。その場合、何も昔風の日本語
でなくてもいいと思います。アニメは強いです。そういったJアート系をどんどん採用して、教材に使えば、皆、真剣に勉強します。
というか、彼・彼女らは、独学で勉強しているので、今さら日本語を新たなに勉強したいなどとは思わないかもしれないくらいです。

たかが言語、されど言語です。