中学生の頃のガバ

大学の般教(死語か!?)で「倫理学」をとった。その先生の授業で「ガバ」という言葉を習った。語源は不確かだが、人生を変えるような瞬間とでも定義されていたような気がする。英語と関係した私のガバは中学一年の夏休みにやってきた。

私の住んでいた村には中学校がなかったため、隣町の中学まで毎日40〜50分かけて通っていた。部活、通学と疲れっぱなしで勉強もせず、一学期が終わろうとしていた。親子面談というのだろうか、母と私と担任とで成績についての面接が一学期の終わりにあった。総合成績というのを見せられ、順位は27。全学年で40名ぐらいしかいなかったので平均以下である。平均以上は楽勝とたかをくくっていた私は外には出さないものの内心相当なショックを受けていた。このままいけば、どんどん成績は落ち込んでいく。勉強に拘っていたわけではないが、自分が馬鹿になって、他から取り残されていく姿を見るのはなんとも恐怖である。

一学期が終わり、夏の部活がはじまった。何日か経って、その日は休みだったのか。それとも、午後からの部活で昼食前だったのか。とにかく暑い日だったことだけは覚えている。

「ごめんください」

その声は我が家の玄関の訪問者によるものだ。幼くして父を亡くしていた、その日の家に母がいたが、私はその声にひきづられるようにして玄関に向かう。

「こんにちは」

背広を着ていたのだろう。しかし、眩いばかりの白のワイシャツを着たセールスマンらしき人の姿がそこにはあった。銀縁のめがねをかけ、いかにもインテリ風の雰囲気を醸し出そうとの努力からか、髪の毛をしっかりポマードでオールバックに固め、私の記憶違いでなければ、襟にすこし掛かる程度の長髪だった。でも、だらしなさなど、どこにも匂わないのは、単に夏の暑さに紛れてしまっていたからかもしれない。

片田舎の中学生にセールストークを拒む力などどこにもない。そう、そのセールスマンは、カセットテープを利用した数学、英語の自習教材を売りつける半悪徳セールスマンだった。しかし、拒む力を持たない無垢な中学生はセールスマンの説明を聞くや、「これぞ私が待ち焦がれていた教材!」とばかりに洗脳されてしまったのである。数十分も説明を聞いただろうか。母を呼ばずして購入を決めることなどできないため、セールスマンの説明が終わるやいなや、母を呼び、そのカセットテープによる教材を買ってくれるよう頼み込んだのだった。

一科目で10万円。よくありますよね。こういう論外の教材が。しかし洗脳されていた私は10万だろうがなんだろうが、それを買ってくれなければ清水の舞台から飛び降りるぞという勢いで(使い方、間違ってますね)母に購入を促したのである。ある意味、彼女もふとっぱらなところがあった。二つ返事、いや三つ返事ぐらいでOKをもらったのである。「これがあれば勉強するから」私の最後の言葉はこれだったに違いない。

二学期がはじまるのを待たずして、私はカセットテープによる教材学習をスタートさせた。その地域で採用している教科書とまったく同じなので、まあ予習、復習を自分でやれない人のための音声指示がついたものがすべて録音されていると考えてよい。しかも、音声はNHKで聞き覚えのある落ち着いた男性によるもの。英語は女性だったかな?とにかく、それから毎日のようにカセットテープでポーズをとったり、再生したりの学習が続いた。

英語のスキットを読むのはネイティブである。解説の後、ネイティブに続いて私も発音をする。それが延々と続く。英語だけではない。数学もすべて音声による指示に従っての学習となった。声による指示、声による応答。声を介した学習がそれから数ヶ月続くのである。カセットテープはその数にして15本ぐらいあっただろうか。とにかく、聞いて聞いて聞きまくったのが私のカセットテープ学習との出会いであり、英語学習との出会いだったのである。しかも、その出会いとは、一学期の新人先生のすぐ後、ネイティブの英語を聞きはじめたので、意外や意外、ネイティブの英語には中学の早い段階から耳が馴染んでいた。

2学期、3学期とこれを使い続けた。そして一年を終わってみての成績はぐんぐんあがって、とうとう一桁台まで上り詰めた。2年も同様にしてカセットテープ教材を購入し、3年はたしか英語だけにしただろうか。とにかく、勉強をするんだ(私の場合、カセットプレイヤーの再生ボタンを押すんだ)という気持ちが癖になり、学習内容よりもまずはカセットプレイヤーの前に座るというのが習慣になった。そこから学習がスタートした。

英語に関して言えば、カセットプレイヤーで勉強をはじめて以来、学校の先生の英語がとてもわざとらしく美しくなく聞こえてきた。自分の発音もがらっと変わった。授業中に英語を読めと言われてとても恥ずかしい(申し訳ない)思いを抱くようになった。それは、英語の先生以上に発音が美しく聞こえるからであった。帰国子女でもないのに、先生よりも英語の発音がきれい。そんなことはありえない。私のほかにもう一人、英語の発音がきれいな女子生徒がいた。彼女は当時流行っていた英国バンド(Bay City Rollersだ!思い出した)の熱狂的なファンのひとり。コンサートにも行く。ポスターも買う。とにかく何かに熱狂するタイプで、きっとレコード(CDなどありません)を聞きまくり、自分でも音程が合わないが唄いまくっていたのだろう。だから、先生の発音よりは、彼女の発音を聞く方がよっぽど勉強になった。

塾に通ってはいなかったので、カセットテープ学習が塾代として充当されていたと考えればいいだろう。それがきっかけになったのか、みんなでいっしょに式の勉強方法にはどうも慣れない。ひとりでコツコツタイプの人格はひょっとして、あの夏休みの一日、インテリ風のサラリーマンさんが持ちかけてくれたカセットテープ学習のおかげだったのかもしれない。今どこにいるのか。何をしているのか。生きているのかもわからないが。ここまで私の人生を変えてくれたことに対して、お礼を言いたいくらいである。

どうもありがとうございます。