大学受験について

そんなこんなで英語だけは自信を持つようになった。受験英語を意識して勉強するようになり、3年の頃だろうか、毎朝英単語の試験がある。L版というのか、写真の大きめのサイズの用紙に市販の英単語試験が配られる。前日か前々日に予習用の同サイズの単語集が渡され、みな、それを必死で暗記する。

自宅から学校まで、生徒の中では最短の距離に住んでいた私は、この予習をまったくやらなかった。というか、その暗記の予習をである。しかも、毎回、高得点をあげていたは確かである。暗記という予習もせずどのように毎回続けて高得点をあげたかというと、それは試験の直前に予習用の単語集とにらめっこして、短時間のうちにイメージを頭に叩き込んだのだ。これは完全に受験のテクニックであった。それが正しい英単語の学習法とは今でも思えない。ただ、試験実施の直前に単語集を見て、これとこれはこういう関係にあって風の対策をたてる。それだけだった。幸い、出題される単語数はさほど多くない。回答は選択式なので、なんとなく単語を覚えていれば回答には十分だった。

つまり何が言いたいのか。英単語を覚える式の勉強はまったく嫌だったのである。特に、旺文社系の出版社が発行する学参は近づきたくなかった。それでも、学校から指定されて夏休みの受験対策ともなると、指定図書を買って勉強したのだが、どうも好きになれなかった。即に読んで机の片隅にでも置いておきたかったくらいである。

では何がよかったかと言えば、中学の頃にも登場した音声による指導だ。たまたま旺文社になってしまうが、当時は旺文社によるラジオ受験講座なるものがあって(今でもあるのだろうか)、それを一冊買ってきて、数学だろうが、何だろうが一生懸命聞いていたのを、今こうして書いていて思い出した。何が一番よかったかと言えば、英語だろう。英語は聞いていて、ほかの教科よりはためになると思った。音を意識しなければ語学など成り立たない。数学や物理といったものは、別に人の言っていることを聞かなくても数式さえ理解してしまえばそれでOK。だが、英語はやはり聞いてみないとどうにもならないと感じた。残念なことに、J.B.ハリスという人が半ネイティブ講師として登場していて、しかも英単語を中心に講義していただけだ。もっと、ネイティブのかっとんだ講義や話があってもよかったように思う。受験対策なのでこれも仕方がないことだろう。

実は、中学の頃、大学受験の体験記を文庫本で読み漁った時期があった。灘、開成、麻布、ラサールといった高校へ進学した人たちの体験記である。インテリというか、知的なものに憧れた時期があったのである。だから、受験ということに関しては、おそらくほかの生徒よりも関心が高かった。

中学2年の頃だろうか。母が乳がん国立がんセンターで手術、入院したことがあった。お見舞いに行った日、6人部屋でベッドを隣にしていて、母が親しくしていた患者さんを見舞いに来ていた学ランを着込んだ人物が座っていた。なんと、その人は麻布生だった。私は、国立がんセンターのすばらしさよりも、ベッドを隔てて、インテリのオウラを全身から放出している彼を目の前にしたとき、神を見るような思いだった。「この人こそが、麻布生ですか!!!」と、本当は大声をあげて叫びたかったくらいだが、田舎風は吹かせるわけにはいかず、それはやめておいた。しかも、麻布生は数学か物理か知らぬが、教科書(いや、参考書)を膝上にしっかり置いていたのである。そして、母にりんごを剥いてあげていた!これにはさらに驚いた。勉強しながら、入院中の母親にりんごの皮を剥いてあげている。さすがは、麻布生だなと、すっかり感心しきって家路についた。

これは事後報告になるが、高校受験という言葉だけに憧れた私は、成績ではまったく太刀打ちできないことは知っていたが桐朋を受験した。もちろん結果は駄目であった。しかも、国立の並木通りを歩き、一橋を横目にで見ながら、桐朋で受験する、という単にそれだけをしてみたくて受験料を払ったのかもしれない。同じような生徒が3人、我が校にはいたが、どれも失敗に終わったようだ。ちなみに、受験前に3人が校長室(だか、何室だかに呼ばれて)訓示を受けたように思う。「お前は絶対受からんぞ」みたいないことを教務主任の先生から念をおされた覚えがある。

話を高校の頃に戻して、3年の夏休みに受験勉強なるものを必死にやってみた。でも、ここでも私独自というか何というか、不思議な方法をとった。夏期講習は中学3年の頃で飽き飽きしていたので、その頃は、土曜日に代々木ゼミに通うくらいで後は自分でやっていた。夏のビッグイベントが、何と音読による受験勉強だったのである。

朝8時までには自室に篭る体制をつくる。もちろん、夏の暑い盛りだから篭ること自体馬鹿げている。なぜなら、当時はまだ温暖化は叫ばれていなかったものの、やはり盆地風の地形に囲まれていたため、すぐにでも暑さが村を襲ったからだ。でも、自室のサッシを閉じて勉強しなければならなかったのには理由があった。

音読をしたからだ。

朝8時に入室。英語で勉強は幕開け。なんとか言う学校で買わされた参考書を音読する。短文がずらずら書かれて、文法の項目ごとに並んでいたんだろうか。そんなことは気にせず、とにかく音読を続ける。何にも考えずに音読である。ただ只管読み続ける。

一時間が経過した。

調子がいい日は、次の一時間も英語。

そして、音読。

英語に疲れたら、世界史。

それも音読。

世界史は、とにかく山川でなければいけないような話を聞いていたので、学校で採用となっている教科書以外にも金を出してわざわざ山川を買い、それを只、只管、音読したわけだ。

倫理もやったな。

当時は、「共通一次」と呼ばれていた、今の「センター試験」に相当する試験を受験予定だったので、倫理とか生物とか、とにかくできるだけ多くの教科を音読していった。いや、倫理はノートに只、写していったのかもしれない。

とにかく、私が受験で覚えているのは、受験したという事実よりも、音読と書写することの作業の方であった。特に、音読は、脳ミソがぼーーットするまで、音読しまくった覚えがある。そのうち、読んでいる内容よりも、読んでいるという事実にうっとりしてきて、内容理解につながっていないことも多々あった。