理論と実践

何かに使えるという観点からいっしょうけんめい開発をおこなうのが技術です。物理・生物学的に見てどのような構成になっているかを、研究結果が使えるかどうかは抜きにして調べ、それを体系的に実証して結果として残されたものが理論です。だから技術ってのは、何かに使えなければしょうがない。一方、基礎研究に代表される理論研究は、それが将来的に使えるかどうかはまず考えてはいけないのです。

当時、スピーチコミュニケーションという学問を学ぶべく、アメリカの大学院に進みました。初回かその次あたりの授業で先生が(当時タイプで書かれた)一枚の所見を披露してくれたのです。それを読むと、「理論とは実践で使えるものであって、使えない理論とは意味のないもの」といった内容が書かれていました。スピーチコミュニケーションという学問は、ほかの学問体系に比べると、たしかに実践向きで、その教授もパブリックスピーキングなる、かなり実践的な場面に理論を適用することを心がけていたので、そのような思想を持っていたのでしょう。彼に感化されたわけではありませんが、使えない理論で重箱の隅をつつきあっても、おもしろくないと思うことがその後多々ありました。

でも、ノーベル賞に代表されるように、発表した当時はどうなるかわからない発明や発見が、実はその後の科学のあり方を大きく変えるだけの影響力を持つに至った考え方はたくさんあります。つまり、ある程度、時間が経たないと、理論本来の意義が見出せないということなのです。ここに、「発達」という大切なものの見方が隠されてもいます。

治験とかいって、病気を退治するための医薬品がたくさん開発されています。ぱっと見には効果があるのですが、人の一生涯においてどの程度の副作用があるかは、まだ未知数のところが多いです。だから実際のところ、新薬を試すには相当の覚悟が必要なのです。でも、それをせずにどんどん新薬が開発・利用されています。何十年経ってから「この薬は●×を引き起こす疑いがもたれる」とのニュースを耳にすることがあります。

あるまとまった考え「IT英語」を「理論」と関連させて話をしようとしたのですが、どうやら方向が逸れてしまったようです。