国際プログラミングコンテスト

昨日、テレビで「国際プログラミングコンテスト」の話題が取り上げられていた。世界各国から参加した大学代表のチームがプログラミングのスキルを競うというもの。もともとはアメリカでスタートしたこのイベント、近年の優勝校は東欧や中国などからの大学が名を連ねる。今回も優勝は昨年に続いてポーランド。それにロシア、中国と続いた。日本やアメリカじゃないんですね。ちなみに日本(トップは京大)は10位にも及ばないという成績。大会後のインタビューである京大生が「問題を理解するのが難しかった・・・」とのこと。もちろん国際大会なので翻訳された問題が出るはずもなく、すべては英語。その英語の問題の解釈に苦しんで日本チームの成績が振るわなかったとなれば、これは問題です。ここでふと気が付いたのが、この優勝国と英語の関係。きちんとリサーチしたわけではありませんが、ポーランドやロシア、中国でのComputer Science系の学生が自国語に訳されたテキストや参考書を見て勉強しているとはとても考えられません。コンピュータというのはすべて英語で学習するのが当たり前の国なのです。もちろんそれは国際的だとか、グローバリゼーションを見据えた教育体制とかいう話ではありません。単純に、ローカライズされたコンテンツがないだけで、半ば英語で勉強しないことにはコンピュータのことは学べないという厳しい環境にいるわけです。それだけに、英語で手に入る情報は膨大で、最新の技術もWebを通してすぐに実につけることもできるわけです。
その一方で、日本は「ローカライズ保護国」と言っても過言ではありません。ソフトウェアはすべて日本語。マニュアル本などが洪水のように出版され、最新技術についても即訳本が出されます。技術者側でも、日本語になるまで技術情報を寝て待つような雰囲気すらあります。ここに、優勝国のポーランドと、下位に甘んじた日本の差が出ているような気がします。
そういえば先日、こんなことがありました。ある翻訳プロジェクトで、日本からは「概念の定義文を翻訳してもらわないと仕事にならない」との反応が返ってきたのに対し、ロシアからは逆に「ロシア語に訳さないでそのまま英語でよこせ」との指示。日本もビジネスの面で、英語を“許容する”範囲を広げないといけないのでしょう。英語を使って何かを勉強するのが特別なことではなく、自然に選択肢の一つとして存在するようにならないと、“トラの穴”のような環境で勉強している学生には、いつまでたっても追いつけないのかもしれません。