deliverable

すでに日本の社会から離れて11年経ちます。時として、「日本の会社で働く」ということがどういうことだったかすっかり忘れたような気になります。年に2回、performance reviewといって、自らがcommitした仕事内容と実際の成果を比較するような議論を上司とする、なんてのは日本ではまったくなかったわけですが、もうこんなのが常識的に身についてしまっているような気がします。きっと日本でマネージャー職なんてやり始めたら、きっと部下はみな逃げていくかもしれません。
アメリカの会社ではとにかく「成果」が問われます。当然、良し悪しがありますが、一度これになれるとこんなに仕事がしやすい環境はありません。常に成果が問われると精神的に参ってしまわないか心配ですが、逆に成果が上がっていれば、何をしていても文句ひとつ言われません。常に自分がなにをプロデュースするか、deriverables(成果物)がなにかをきちんとさせれば、あとは目標に沿って進めばよいわけです。自分が成し遂げることができないようなコミットメントを要求されることはありません。それが極端に難しいことであれば、それをアサインした上司の責任となるからです。日本ではたぶん、プロジェクトX級のものをボンボン指示されて打ちのめされている人も多いのでしょう。プロジェクトX級のものというのは、人から課されるものではなく、自分で引っ張ってくるものです。やりたければやればよし。自信がなければやらずともOK。ただし、自らが伸びていることを示すことができなければ、昇進など望むべくもないのが現実です。「安全牌」だけコミットし、楽勝なdeliverablesを示したところで相手にされないもの事実です。もっと厳しいのは、その安全牌を並べて、これでどうですかとたずねても、「それじゃだめだよ」といわれないこと。安全牌を出した時点で、もう認められていないわけです。本当に自力本願の世界ですね。
ということで、今週末はあるシステムのリリースでてんやわんやでした。安全牌中の安全牌という楽勝プロジェクトなのですが、かかわっている他の人間にとってはそうでないというのが悩ましいキャップですね。こんなことに時間を割かれるくらいなら、もっとPX級のものに力を注ぎたいのですが・・・そんな世の中甘くない!