英語との対面

小学校の高学年の頃、英語とはこのようなしゃべり方(聞こえ方)をするのだな、との想像の元、話しまねをいい加減にするようになるのを誰もが記憶しているだろう。もう30年も前のことなので、当時の英語環境がどのようなものかすら思い出せない。テレビやラジオはあったので、出演者が英語を話している音を聞いていたのか。それとも、誰かが英語の話し方を真似するのを、自分なりに真似していたのかはわからない。ただ、英語の話し方を真似しながら、「これが何かの意味を持つようになるんだな、不思議だ」(もちろん、自分の話している内容はまったく意味不明で、怪しいものだったが)と頭の中に浮かんだようにおぼろげながら記憶している。

今では小学校時代に英語との遭遇を経験できるが、片田舎の小学校ではそのような機会もない。だから、多くの同世代がそうであったように、中学校に入ってからの英語の授業が英語との対面となった。中学校一年の頃の先生は「今泉先生」といった。おそらく大学出まもなくの若い先生だったが、今想像しようにも何歳ぐらいか想像もつかない。(後に数学の先生と結婚することになる)彼女はすらっと細く、茶色がかった鼈甲風のめがねをかけていた。まあ、当時からすると、洋風だったのだろうか。若かったからなのか、英語の発音が不自然でないくらいに耳に心地よかった。

そこで私の人生にとってのいくつかの大事件発生となる。隣村の中学校まで毎日40〜50分かけて歩く通学は体力増強には役立ったものの、勉学面では損になったこそすれ、何も得になったことはない。通学中に勉強するなど考えられないことだし、部活をして帰宅の途につき家に帰ればくたくたで勉強どころの騒ぎではない。それでも何人かの親しい友人ができ、週末に近場の町に電車で行こうではないかということになった。

小学校当時、友人と電車に乗った記憶はない。つまり人生ので初の電車体験というわけで、こづかいをもらったかもらわないかも定かではなくなったが、友人の後をついていった。古本屋に立ち寄るという。本屋は定期購読していた本を買いに行くことがあったので、別の町ではあるが経験がある。しかし、いっしょに行った友人が手にする本を見て、自分はなんて子どもなんだろうと焦りさえ感じた。ひとりの彼はムツゴロウ著の本を何冊か読んでいるという。星新一が趣味の奴もいた。肝心の私であるが、小学校時代は読者感想文コンクールで毎年入賞こそしたものの、男子4名の弱小学校だったので読書感想文を提出するだけで入賞確実という具合だった。焦りに焦った私はとりあえず手にした『入江塾の数学』(祥伝社)を購入した。完全に見栄だけである。しかし、彼らの知的水準に追いつかんと、私は少ないこづかいを投資して買った本を一心不乱に読み進めた。この頃だったか、何か自分で一生懸命考えてそれを基に何か仕事をしたい、つまり、今考えれば哲学者になりたいと思うようになったのは……

後に、この数学本がきっかけとなり、夏の自由研究で『零の研究』(遠山啓著、岩波新書)を生物の先生に薦められ、訳もわからずに読み、模造紙に一枚の研究結果を発表した。先生には苦笑で片付けられたが、たしかに私も恥ずかしさを堪えるだけで大変だったのを覚えている。周りを圧倒してやろう、自分がすこしでも頭のいいところを見せ付けてやろう。そんな思いで一杯だった。

話が横に逸れたので、英語との対面は次回に譲る。