オーラル・ヒストリー

大学院の頃、スピーチ・コミュニケーションという学問を専攻した。在籍中に研究科の名前がSpeech CommunicationからHuman Communication Studiesに変わるなど、この分野の流動性というものを体感したのを覚えています。不安とも希望ともとれないどっちつかずの気分だったが、とにかく先端にも近い内容を学んでいるという自覚は、しっかり持っていようと決心していた。

その頃、いろいろな論文を読んだが、どうしても納得いかないもののひとつに、えいやっとやってしまう定量調査法はその代表だった。仮説を立て、調べようとしている事項を数値化して実験しデータを取得、その後、SPSSにかけ、えいやっ、で終わり。そんな方法ですました顔をしていていいのだろうかと疑問が先にたった。

さて、そのうちにいろいろなテーマが交錯するようになり、Narrative paradigmなるものを知るようになる。これには納得できる、という考え方にはじめてぶつかった気がした(実は、長い時間が経過してみると納得できる考え方がたくさんでてきたのだが…)。それについては数日前のブログで書いておいたので、今日は類似の考え方としての「オーラル・ヒストリー」がテーマである。

政治学者がある研究書を発表する際、調査法として使用していたものである。つい最近では、ご本人からいただきものをした『通訳者と戦後日米外交』(鳥飼玖美子著)もオーラル・ヒストリーにて、戦後の通訳史を解明している。その中で、同時通訳者の草分けである5名の方々にインタビューをし、通訳に関することだけではなく、その背景をも知ろうと、5名がどのような経過で英語と格闘をはじめたのかが紹介されている。

そのオーラル・ヒストリーなるものに触発され、私は自叙伝というスタイルで自分のためのオーラル・ヒストリーをまとめていこうと思い立った。ブログでみんながやっているのは、日記という形のオーラル・ヒストリーなんだなと一人で納得している。