4大スキルについて

IT英語では、特に語学の4大スキルであるリーディング、スピーキング、ライティング、リスニングという区別はおこなっていません。とにかくITに関する英語であれば何でもOKというアプローチですが、どちらかと言えば、表現とか用語に重きをおいているためでもあります。基本的に表現を覚えて、それぞれのスキルを駆使する際の参考にしてください、という立場をとっています。

私は、これはひょっとすると、ESPという学習分野全般に言えるのかなとも思っています。というのも、ESPを形成している基本概念はコンテンツだからです。コンテンツを識別するためには、このコンテンツに特有の用語があります。表現があります。コンテンツを言い換えればジャンルになります。

ジャンルということを考えた場合、若干スキルが変わってくることがあります。ニュースというジャンルの中でも、それが新聞であるのか、それともテレビであるのかによって、新聞の場合はライティングとリーディングが、テレビの場合にはライティングとリスニングが関係してくるからです。なので、完全にスキルを無視するわけにはいきません。だから、4大スキルを完全に無視できないものの、ジャンルにもスキルという考え方が関係してきます。

ところが、スキル別という学習法ほど、何となく胡散臭いものはありません。というのも、この世のどこにスキルが分かれて存在することがあるのでしょうか。スキルをなぜ分けて考えなければいけないのでしょうか。スキルを分けて考えるほど、時間の無駄はありません。

というのも、実際に私たちが何語でもいいから言葉を使ってコミュニケーションをとるなら、とにかくスキルの区別など考えずに、相手のことを理解して、自分のことを理解してもらう以外に方法はないからです。私の言いたいことが初心者にどこまで当てはまるかは若干不安ですが、それでも、初心者の頃から、スキルを4つに分けて、それごとの訓練やら、検定試験対策やらをやっても、実践ではあまり使えないという結果に陥るのです。

そこで、私はマルチ処理の訓練法を提唱しています。マルチとは、ある一時点で見た場合、必ず複数の感覚を使っているようなコミュニケーションです。今、私がこのブログを書いていますが、コンピュータ入力する際、私は手を使っています。従来の書く行為です。次に、私は目で画面の字を追いながら書いています。見るという作業です。そして、心の中では、ささやきにも似た程度の音声ではありますが、少し書いている文章を頭の中で読んでいます。音が響いているのです。となると、心の耳の動いていることになります。

ここまでくると、バフチンの複数の声が思い起こされます。小説の特徴を複数の声に見出した彼ですが、コミュニケーションは基本的に複数の「声」がモードを異にして行き交うもののようです。バフチンも陥りましたが、ここでもある矛盾に陥ってしまいます。つまり、基本的にコミュニケーションが複数のモードを異にする声で成り立っているとすれば、コミュニケーションらしき行為をとればそれは自然と複数の声を前提としていることになります。小説を構成する言葉の特徴が複数の声だとすると、詩を書くときにも必ず複数の声が散見されなくてはなりません。なぜなら、詩も小説と同様、言葉を使って創作した結果だからです。